1987年に発生した大韓航空機爆破事件で、実行犯だったのが日本名・蜂谷真由美こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員。
同事件を実行した理由や、北朝鮮の工作員として活動をした理由とは何だったのでしょうか。
また、金賢姫元工作員の結婚した旦那や夫の間にいる子供の現在などについて迫ってみたいと思います。
大韓航空機爆破事件の原因と事件概要
1987年11月29日、イラクの首都・バクダッド発、韓国の首都・ソウル行きの大韓航空機が爆破され、乗客・乗員115人が全員死亡するという事件が発生しました。
テロの実行犯は日本名・蜂谷真一を名乗る金勝一(キム・スルイル)元工作員と、日本名・蜂谷真由美こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員の2人。
当日はバグダッドにあるサダム国際空港を出発後、UAEのアブダビ国際空港とタイのバンコク国際空港を経由して、ソウルの金浦国際空港に向かうというルートで、金賢姫元工作員らは爆弾を仕掛けたのち、経由地で降り姿をくらますという画策だったのです。
テロ事件を起こしたのち、バーレーンにてパスポート偽造が発覚した2人は、煙草を吸うふりをして服毒自殺を図り、金勝一元工作員は死亡しますが、金賢姫元工作員は一命をとりとめその後取り調べを受けることに。
事件当時、記者会見を開いた金賢姫元工作員は「爆破スイッチを起動したラジオと、爆破用の液体が入ったビンを一緒に袋に入れて飛行機に乗りました。」とテロ行為の詳細について明かしています。
テロの目的は、ソウルオリンピックの妨害行為。
1985年〜86年にかけてソウルオリンピックの韓国・北朝鮮の南北共催について、IOC仲介のもと様々な協議が行われていましたが、話し合いはうまくまとまらずに、1987年9月に韓国・ソウルでの単独での開催が決定しました。
ソ連らの社会主義国家らも参加を表明する中、共催を断られた北朝鮮は孤立し、当時の金正日総書記から「ソウルオリンピックの韓国単独開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ」との指令が下り、これに従い爆破物を仕掛けるというテロ行為を行なったのです。
バンコク国際空港に向けて出発をした大韓航空機ですが、空港手前の海上で爆弾が爆発し、機体は空中分解。
乗員・乗客117人が死亡、実行犯の金勝一元工作員も死亡をしましたが、金賢姫元工作員が一命を取りとめた事で、北朝鮮闇を語り継ぐ生き証人として、恩赦により釈放されています。
金賢姫(キム・ヒョンヒ)の結婚した旦那や子供!現在は韓国でひっそりと暮らしている?
金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員ですが、1997年、韓国中央情報部 (KCIA) の後身である国家安全企画部に所属をしていた男性と結婚をしています。
金賢姫元工作員が旦那と結婚をしたのは、テロ事件を起こしてからちょうど10年後の35歳の時。
夫は元々、金賢姫元工作員の取り調べに関わった捜査官で、現在も警護に携わっているとのこと。
長男と長女の2人の子宝に恵まれた金賢姫元工作員ですが、暗殺の危険があるとして現在は名前を変え、ひっそりと韓国で生活をしている様子。
38歳の時に長男、そして40歳の時に長女を出産しており、現在子供は長男が22歳前後、長女が20歳前後になるでしょう。
息子や娘が中学生だった当時、事件について伝えているのかとインタビューで聞かれた金賢姫元工作員は「子供たちにはっきりはわからないですね。だからまだ言ってません。」と答えています。
また、「事件のことを子供たちに伝えるのに勇気がいりますか?」の質問には、「そうですね。」と答え、「どういう風に説明しますか?」については、「言わなくても…。でも、真実を言わなくちゃね」などと語っている一方「インターネットが発達しているので、そのうちウェブ媒体などを通じて私のしたことを知ることになるでしょう」とも。
20歳前後となった子供たちですが、金賢姫元工作員が行ったテロについては既にネットを通じて知っておりショックを受けたそう。
長男に関しては日本のアニメが好きなようで、映画「君の名は。」を何度も視聴しているほか、長女は日本語で「おやすみなさい」と話しているとのことです。
金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員の経歴!田口八重子さん、横田めぐみさんと関係性は?
金賢姫元工作員は、1962年1月27日生まれで北朝鮮の外交官で北朝鮮大使館三等書記官としてキューバに在住をしていた父親の影響で、4歳までキューバで過ごします。
母親は北朝鮮で教師をしていた人物で、キューバで過ごした後に、北朝鮮の首都である平壌に帰国をし10歳になるまでは、子役として映画に出演するなど芸能の仕事に従事をしていた経験も。
15歳になると、北朝鮮の最高学府であり北朝鮮の〝東大〟とまでいわれる超エリート校「金日成総合大学」の生物学部に入学をし、翌年には平壌外国語大学日本語学科に入学をします。
金日成総合大学は、1万人を超える学生が在籍をしており、北朝鮮国内だけではなく、中国や、ロシア、ハンガリー、ベトナム、チェコといった諸外国からの留学生も受け入れ、党や政府幹部などの重要人物を多数輩出していることで知られています。
そんなエリート学校を卒業した金賢姫元工作員は、18歳になると朝鮮労働党中央委員会調査部に工作員として招聘されると、金正日政治軍事大学工作員速成情報クラスに入学をし、20歳の時には朝鮮労働党に入党し工作員としてのノウハウや北朝鮮の洗脳に近い教育を受けるこに。
そして25歳となった1987年11月、大韓航空爆破事件を起こたのです。
金賢姫元工作員は大韓航空爆破事件を引き起こした際、蜂谷真由美という日本人になりすましており、日本語も堪能でした。
金賢姫元工作員に日本語を教えていたのが、北朝鮮によって拉致された被害者である田口八重子さんです。
田口さんは「李恩恵(リ・ウネ)」という日本語の教育係として1981年〜1983年にわたって徹底的に金賢姫元工作員の日本語の先生をしています。
ちなみに当時、現地で田口さんは「金玉花(キム・オックァ)」という偽名を使っていたと金賢姫元工作員は証言していたことも。
また、同じく拉致被害者の横田めぐみさんとも同居していた時期があり、「田口八重子さんは交通事故で死亡した」という北朝鮮の証言に「田口八重子さんは生きている」、「横田めぐみさんが自殺したとは考えられない」などと、内部事情を知っている者しか発言することができない暴露も。
田口さんについて一番印象に残っていることを聞かれた金賢姫元工作員は、「子供に会いたいと涙を流していた姿が一番印象に残っている」と語っています。
金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員を作り上げた北朝鮮の教育と洗脳
服毒自殺をして証拠を残さないようにするはずだった、金賢姫元死刑囚。
幸か不幸か命拾いをしたことで「生きていてよかったなと思いますか?」とインタビューを受けた際、「事件の真実を証明しなさいという意味で、生かしてくれたと思います。」と心境を明かしています。
北朝鮮では労働党の工作員として洗脳教育を受け当時を「祖国統一のためにやるものだから仕方ないという教育を受けていた」と回顧。
しかしながら、テロ事件後に捜査員に連れられ韓国・ソウル市内を歩いていた際北朝鮮で教えられてきたことと、ソウル市内の目の前の現実の落差に強い衝撃を受けたそう。
ここで洗脳が溶けた金賢姫元工作員は、「北朝鮮が悪かった、嘘の教育をしているんだな」と思い真実を伝える証言者になる覚悟を決めたといいます。
2010年には日本へ来日しており、横田めぐみさん両親や田口八重子さんの息子である飯塚耕一郎さんらと食事や会話を堪能。
その当時の様子も映像に残っています。
「祖国統一のため」と、工作員への洗脳教育を続けた結果、テロ行為という最悪の結果を招いた北朝鮮。
何百人もの罪のない人物の命を奪ったという重い十字架を背負わされた金賢姫元工作員もまた、北朝鮮による被害者なのかもしれません。
(文:服部慎一)