2007年、英会話講師の英国人女性のリンゼイ・アン・ホーカーさんが千葉県市川市のマンションで殺害されるという事件が発生しました。
逮捕されたのは市橋達也受刑者で、整形を繰り返しながら2年7ヶ月にも渡り逃亡生活を繰り広げていました。
市橋達也受刑者の現在や整形した顔、両親や半生を描いた映画などについて迫ってみたいと思います。
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リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の概要
2007年3月26日、千葉県市川市福栄のマンションで英会話講師で英国人女性のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が発見されました。
事件の容疑者として逮捕されたのは、市橋達也受刑者。
逮捕されてからは警察の調べに対して「何も話したくない」との供述をしていました。
リンゼイさんは英会話学校「NOVA」の講師で、市橋受刑者も同校へ在籍をしながら英語を学習していましたが、個人レッスンは受け入れておらず、市橋受刑者がナンパしメールアドレス等を聞き出した結果、1回3,500円というレッスン料にて個人レッスンを受ける旨を合意をしました。
遺体発見の前日である2007年3月25日、リンゼイさんが市橋受刑者の自宅マンションにてレッスンを行うために訪れておりましたが、市橋受刑者は自宅に入るや否やリンゼイさんを押し倒して暴行。
その後、乱暴をしたのちに殺害をします。
翌日の3月26日、市橋受刑者はホームセンターにて下記の用品を購入。
- 赤玉土56
- 園芸土50
- シャベル1つ
- 発酵促進の脱臭剤2個
- 脱臭剤2個
- 苗木1本
取り外し可能な浴槽をあらかじめ準備していた市橋受刑者。
リンゼイさんの遺体をその浴槽へと入れたのちに、遺体をベランダに移動させ、購入した土を投入し隠蔽を図ったのです。
市橋達也受刑者の逃亡生活について
リンゼイさんとルームシェアをしていたカナダ人の友人が、リンゼイさんが帰宅をしないことを不審に思い、警察へ通報。
リンゼイさんの自宅には、市橋達也受刑者が残したメールアドレスや電話番号、似顔絵などがあったことから警察は、市橋受刑者が浴槽に土を投入した3月26日の夜に、同受刑者の自宅へと足を運びます。
しかしながら、事情聴取の最中にマンションの共用廊下部分から逃走。
結果的に取り逃すこととなったのです。
逃走後、市橋受刑者は近隣住宅付近に潜んでおり、近くのゴミ箱から上着とサンダルを手に入れると、放置自転車や電車を駆使して千葉県市原市から東京・秋葉原へと移動をします。
警察は捜査対象を広げると、およそ6000枚もの指名手配のポスターを配り逮捕に向けて本格化。
そこから壮絶な逃亡生活が始まるのですが、まずは市橋受刑者が逃亡の末訪れた箇所をピックアップしていきます。
- 埼玉・群馬・茨城などの北関東
- 静岡・熱海〜駿河湾付近
- 青森県
- 大阪市西成区
- 香川県(お遍路)
- 徳島県(お遍路)
- 高知県(お遍路)
- 愛媛県(お遍路)
- 沖縄県のオーハ島
- 神戸市など
逃亡初日、所持金が5万円だった市橋受刑者は、秋葉原に移動後は北関東を放浪、その後に青森県へと移動をします。
事件前に九州に遊びに行くと友人にメールをしていたことを思い出し、北上を決意した市橋受刑者。
しかしながら、青森県の青森駅前公園にて1週間ほど寝泊まりをした結果、同県の経済状況が芳しくないと感じ大阪市西成区へと移動を決意しました。
職安にて日雇い労働の職業を紹介されるものの、なぜか四国を訪れお遍路のようなことを始めます。
お遍路の最中、自身の指名手配のポスターが多く掲載されている現状を知ると、逮捕される危険性を悟った市橋受刑者は沖縄県島尻郡久米島町にある「オーハ島」へと逃亡。
無人島であるオーハ島への逃亡は無謀で、準備不足のためか一旦、沖縄本島へと出戻りをし建設現場で働きながら資金を調達。
その後はオーハ島と大阪府西成を行き来しながら、住み込みで働くという生活スタイルを確立させます。
オーハ島では、魚や蛇、ヤシガニといった野生生物を食べるサバイバル生活をしており、野菜を栽培したり、飲料水を別の島に汲みに行くといった極限生活をしていたのです。
市橋達也受刑者、大阪南港のフェリー乗り場にて逮捕される
後述をしますが、市橋達也受刑者は整形を繰り返すなどをしており、顔を変えながら逃亡生活を送っていました。
名古屋市にある美容外科医院が、市橋受刑者の最新の整形顔をめぐり警察へと通報。
その後、同受刑者が住み込みで働いていた大阪府茨木市にある建設会社も整形後の顔写真を見て心当たりがあると思い、通報。
また、沖縄に行くために乗るはずだったフェリー乗り場にて通報を受けた市橋達也受刑者。
2009年11月10日に大阪南港のフェリー乗り場にて拘束され、逮捕されました。
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市橋達也受刑者、現在は何をしている?
逮捕後、千葉県警行徳署捜査本部や千葉地検の調べに対して黙秘を続けていた市橋達也受刑者。
地検によって、強姦致死罪、殺人罪、死体遺棄罪といった罪で起訴されると、被害者が1人であり前科がないことなどが考慮され、無期懲役が求刑されます。
2011年、第一審で無期懲役が言い渡されると、弁護側は控訴するも2012年に棄却。
千葉地検は「市橋には前科がなく、犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ない」としています。
市橋受刑者は現在も、無期懲役の刑期の執行中という身。
しかしながら、市橋受刑者には整形を繰り返した結果、顔がイケメンであるとして「市橋ギャル」なる人物も登場することとなったのです。
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市橋達也受刑者、整形を繰り返しイケメンに?市橋ギャルも話題に
犯罪者のみを愛する性癖のことを「ハイブリストフィリア」と呼び、その中でも犯罪者の追っかけをする人物は「プリズン(刑務所)グルーピー」と呼ばれています。
市橋達也受刑者にもプリズングルーピーが存在しました。
通称〝市橋ギャル〟と呼ばれる彼女たちは、「市橋達也愛してるよ」、「達也、体を大事にね」と書かれたプリクラを撮影していたほか、「市橋達也の嫁」、「市橋達也の女」、「市橋達也の姫」などと書いたプリクラも撮影しております。
そして、整形をして逃亡の末、逮捕の末送検された瞬間の市橋受刑者に対しては「イケメンすぎ」などのコメントが寄せられていたのも事実です。
▼送検時の市橋受刑者
逃亡初日、自身の人相を変えるため鼻を左右から縫って縮めるといった自己整形手術を行っている市橋受刑者、カッターナイフでほくろを切り落としたほか、下唇を自らハサミで切って小さくするといった整形を行っています。
ただし、整形してからイケメンになったのではなく、市橋受刑者がモテる理由は他にもあったのです。
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市橋達也受刑者の経歴と生い立ち!ハイスペックでモテるのは必至?
市橋達也受刑者の身長は180cmを越えており、整形後ではありますが、俳優の水嶋ヒロさんに似ているとしてイケメンであると話題になりました。
また、国立の千葉大学を卒業している高学歴でありながら、中学時代はバスケ部で副キャプテンを務めるほどの腕前で、生徒会役員も務めるなどの人気者。
高校は地元の名門校に進学をしており、さらに成績も優秀という文武両道で足の速さは学年でもトップ。
スピードは警察官でも追いつけないほどであり、空手も黒帯であるため警察官の羽交い締めすら振りほどくほどでした。
さらに、絵が上手で文才もるという文化的な部分にも造詣の深い一面もあるほか、カラオケやボーリングといった趣味面も達者であるといいます。
語学も堪能であり英語はペラペラで、かつフランス語も話せほか、外人をナンパする程のコミュニケーション能力も持ち合わせています。
後述をしますが、両親は医者で経済的には困らない家庭に生まれるなど家柄もよく、青森県の経済状況の悪さを感じ取るほど頭がキレる人物です。
住み込み先での勤務態度は良好で、逃亡生活中には100円万以上も稼いでいたほか、図書館にて無人島についての知識を叩き込むと無人島(オーア島)で数ヶ月に渡り、サバイバル生活を実践するといったバイタリティの高さも見せています。
そして、自身の逮捕されるまでの生活を記した本も出版しているほか、半生を描いた映画も映画化されるなど、カリスマ的人気を誇っています。
こうした生い立ちや経歴があることを踏まえると、プリズングルーピーが存在するのは不思議なことではないかもしれません。
市橋達也受刑者の両親は医者!既婚者の姉も医者だったものの事件後には離婚
先述した通り、市橋達也受刑者は外科医の父親と歯医者の母親という家系に生まれました。
そのため、裕福な家庭に生まれ育った市橋受刑者は、逃亡生活をめぐって両親から資金援助がされているのではないかという疑いの目が向けられており、両親は逮捕前にメディアのインタビューに応じ「資金提供なんてあるわけない。整形の費用などをどこから手に入れたのか、こちらが聞きたいくらい。私は嘘はつけません」と否定をしています。
また、市橋達也受刑者には2歳年上の姉がおり、この姉も医者として勤務をしていました。
既婚者であったものの、弟の事件によって離婚を余儀なくされており、離婚後は親の実家にてひっそりと生活をしてるのだそうです。
市橋達也受刑者、手記を出版!半生を描いた映画も公開される
文才もあった市橋達也受刑者は、2011年に逮捕までを描いた書籍「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎文庫)を拘置所からの懺悔の手記という形で出版。
2013年には同著書を原作にした映画「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」が公開され、俳優のディーン・フジオカさんが、監督・主演・主題歌の3役に挑戦したことでも話題となりました。
原作とは全く異なった脚本を描いたディーンさん。
映画公開後のインタビューでは「原作から最初に感じた市橋受刑者の逃げることへの自分勝手などん欲さは忠実に描いたつもりです。」とした上で、「ただし、彼がどこをどう逃げたかといった部分は、自分にとってはどうでも良いことで、あの本がフィクションなのかノンフィクションなのかという議論もありましたが、それもあまり自分には関係がなかった」と語っています。
(文:服部慎一)