(※画像はイメージです)
25日に放送された「5時に夢中!」(TOKYO MX)に出演をした松田ゆう姫さん。
松田さんは、通りすがりの男性から友人の歩きタバコを諫められ、あろうことか逆ギレで反論したことを明かします。
松田ゆう姫、友人の歩きタバコを諫められるも逆ギレし炎上
25日に放送された「5時に夢中!」(TOKYO MX)。
曜日コメンテーターでタレントの松田ゆう姫さんが出演しました。
この日、同番組では「他人に激怒された経験があるか?」という話題になり、エピソードを披露し始めた松田さん。
「友だちと2人で歩いていたんですよ。私が前を歩いていて、友だちが電子タバコ、歩きタバコをしちゃっていて。後ろからおじさんの怒号がブワッと聞こえて。『路上でタバコを!』みたいな、すごい声がして、心臓止まるくらいビックリして」と、友人の歩きタバコを諫められた出来事を振り返りました。
続けて「確かに歩きタバコを叱咤されたんだけど、そのおじさんが70(歳)以上くらいでスタスタって歩いていっちゃったんだけど、その怒鳴り声の恐怖がすごく嫌で。そのまま、そのおじさんのところに言って『その怒り方はないんじゃないですか?』って怒り返したの」と明かしました。
共演していたお笑いタレントのヒコロヒーさんが「えっ?怒り返したの?」と、反論したと言う事実に驚くと、「あまりにもショックだったの。恐怖だったから」と返答。
ヒコロヒーさんは、その後の展開について問うと「何か『うう~』とか言って、行っちゃった」と顛末を話しました。
共演者から「悪いのは確かに松田さんのお友だちかも知れないけど、驚かされたというか、言い方がショックというか」とフォローが入り、言いなり怒鳴られたことを「あれはもはや暴力」と受け取ったとして、自身の行動は暴力から身を守るための行いだったことを告白。
しかしながら、ネットには
《「私は私らしく生きてます」の悪い形ですね》
《謝るより先に怒り返すだなんて言語道断》
《まともに叱られたことすら無いんだろうな》
《ずっと甘やかされてきたってことだろう》
《松田さんが歩きタバコの友人にダメだよ!と注意出来ていればそれが1番よかったと思う》
など、松田さんの言動へ批判が殺到しました。
松田ゆう姫、ツイッターに反論投稿も削除
今回、歩きタバコを叱責されたことについて、その怒り方が暴力であると言うことを言い訳に逆ギレと言っても過言ではない反論をした松田さん。
ネットには、歩きタバコを諫める言い方がいささか乱暴だったのではと指摘する書き込みも見られましたが、多くは「歩きタバコ」という行為そのものへ批判するものばかりでした。
東京都の条例で路上喫煙が禁止されているなど、一昔前とは違って完全分煙が定着しつつある昨今、喫煙所も喫煙者の数もグッと減少傾向にあり、嫌悪感や不快感を持つ人が多くいるのも事実です。
松田さんというと、2022年2月に電車内でコンパクトミラーを開けリップを塗っていたところ怒鳴られたエピソードを同番組で披露。
怒鳴られたことで、松田さんは「イラッとして『えっ、どうしてですか? なんでダメなんですか?』って聞いたの。しかも、リップだったし。そうしたら、『みんなに迷惑かかってんだよ!』って言うから、さらにイライラして『ご迷惑でしたか?』って(電車内の)みんなに聞いたの」と、マイペースぶりを炸裂したことがあります。
この時に共演者からは「粉もんでなければ別にいいのでは?」と無難な意見がやりとりされましたが、ネットには「公共の場での振る舞いではない」と批判が相次ぎました。
いずれも「松田さん」VS「いきなり怒鳴るおじさん」という図式となりましたが、あまりにも無防備かつあっけらかんと自身の行いを疑問にも思わずに公共の電波に乗せてエピソードトークする松田さんに視聴者はドン引き。
共演者らもさすがに黙り込んでしまうほどの強烈エピソードさえ、何がいけないことなのか全く理解していない松田さんへ不安を感じる視聴者が続出しているようです。
放送後の26日までに、松田さんはツイッターを更新。
その内容は番組内での発言に対する批判に対しての反論とみられ 「ゴジムでの発言に関して断面だけ見て判断してくるアンチの皆様 よしよし、わーった、わーった しかないです。Get a life(※「放っておいて」の意)」としたものの、わずか1日で投稿は削除されます。
松田さんは、マナーを逸脱する友人へ注意することなく、注意してきた人間に意見することに対しての批判を「アンチ」といい、「自己中心的な振る舞い」と「自由」を履き違えているに過ぎません。
過去に、雑誌のインタビューで「私の言葉や行動が時には自己中心的に聞こえるかもしれないけれど、そうやって自分の機嫌をとりながら豊かな時間を過ごしていく」と語ったことのある松田さん。
「自分の機嫌をとる」ことが最重要事項であれば、その時の立場で正否は変わり、論理的な会話や解決は困難となります。
コメンテーターとしての資質はもちろんですが、人としてあるべき姿について熟考してみる必要があるのではないでしょうか。
(文:Quick Timez編集部)