1974年から1975年の連続企業爆破事件のうち、一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーである桐島聡容疑者ですが、胃癌により死亡しました。
実に50年という長きにわたり逃亡生活を送ってきた桐島容疑者ですが、一体、どのような人物なのか調べてみました。
桐島聡、土木会社に「内田洋」の偽名で40年間潜伏か
1974年から1975年の連続企業爆破事件のうち、一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派・東アジア反日武装戦線「さそり」メンバーである桐島聡容疑者ですが、胃癌により死亡しました。
桐島容疑者は東京・銀座の韓国産業経済研究所入り口ドア付近を手製の時限爆弾で爆破した疑いで、1975年5月に指名手配されており、警察署などに貼られている「重要指名手配」に顔写真が公開されていたことから記憶にある読者も多いことでしょう。
その後、約半世紀が過ぎた今月25日、神奈川県鎌倉市内の病院に入院中の男が「桐島聡」を名乗ったとの情報が職員から寄せられ、警視庁公安部による男の特定作業が開始され、身柄を拘束。
男は「内田洋(ウチダヒロシ)」との偽名を使っていたものの、事情聴取に対して、事件の関係者しか知り得ない当時の状況などについて話たそうです。
こうした状況から、警視庁公安部は男が桐島である可能性が高いとみてDNAの鑑定を進めるも、50年近い逃亡生活から特定作業は困難を極めているとの情報も。
男は「最期は本名で迎えたい」と話していたとも明かされており、その後、身元確認が進められている最中の29日朝、入院先の病院で胃癌のため病死しました。
桐島が重要指名手配されている頃、国外にいた可能性もあり、逃亡期間によっては時効は完成していないものの、旅券から身分が露見する可能性を避け、事件後に海外への渡航歴も確認されていないことや、80年代から神奈川県藤沢市の土木会社に住み込みで働いていたとの情報もあり、ほぼ「逃げ切り」の結末にネットには幅広い世代から多くの書き込みが寄せられています。
桐島聡、その来歴は!?
氏名:桐島聡(きりしまさとし)
生年月日:1954年1月9日ー2024年1月29日(享年70歳)
出身地:広島県深安郡神辺町(元・福山市)
最終学歴:広島県立尾道北高等学校卒業→明治学院大学法学部(在学中に指名手配されたため除籍か中退の可能性)
罪名:爆発物取締罰則違反
刑罰:6
指名手配犯として公開された身体的特徴には
・身長は160cmくらい
・強度の近視
・足が細い
・広島弁
・顔にニキビ痕、唇が厚い
といったものがありました。
1970年代に高校から浪人することなく大学進学を果たした桐島ですが、当時の大学進学率(30%台前後)を考えると、頭が良く家庭環境にも恵まれ、広島県から上京できるほど比較的裕福な家庭で育ったのではないでしょうか。
桐島は、上述したように1970年代の日本のアナーキズム系新左翼過激派である東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバーで、同派による連続企業爆破事件の容疑者の一人です。
桐島の死去により、事件の全容解明はほぼ不可能となりましたが、5つの爆破事件で共謀・実行として関与したことが認定されており、ほとんどの事件で桐島と行動を共にした黒川芳正には無期懲役、宇賀神寿一には懲役18年が確定。
刑罰は「6」とされ、その犯行態様の悪質性や犯行結果の重大性から、課せられる刑罰は限りなく重いものと想定されていました。
桐島聡に家族はいた!?
「最期は本名で迎えたい」と、自身の身元を明かした桐島。
人生の最期には親兄弟あるいは親族とのやり取りを希望したのかもしれません。
家族については一切の報道がなく、両親が存命か否か、兄弟の有無はおろか、逃亡中に内縁関係を結んだ相手がいるかどうかの情報も一切不明です。
しかし、「DNAの鑑定を進める」との警察の発表を見る限り、血縁関係者はいるということになります。
桐島聡、SNSや住まいは?
警視庁公安部から徹底的にマークされていた桐島。
姿を晦ます直前、実父に電話をしており、「岡山に女と一緒にいる」と話していたことが確認されるも、その後、女性と結婚した事実は確認されていません。
逃亡生活を余儀なくされていたことから、正式な入籍や子を持つことは困難だったことは想像に難くなく、実際、神奈川県藤沢市内の土木会社近くにある住宅に住み込みで働いていたとしても、給料が手渡しだったということから口座開設ができないなど、かなり制限された生活だったのでしょう。
もちろん、携帯電話を持ちSNSを楽しむということは不可能だったに違いありません。
今回の逃亡劇を「勝利宣言」と書き込む人も多数いましたが、一連の事件では唯一、前科のなかった桐島。
親類縁者は本人からの接触の可能性を鑑み、警視庁公安部から監視対象となっていたと考えられ、家族は大変な思いをしてこの半世紀を生きてきたことでしょう。
桐島と名乗る男が桐島聡本人であるならば、己の死期を悟り、いくばくかの良心があったものとしての告白であったことを願わずにはいられません。
(文:Quick Timez編集部)