画像:時事通信フォト
先日、相次いで電車内の中吊り広告を終了することを公表した「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)。
もはや電車内の風景と化していた週刊誌の広告がなくなることを18日の「ABEMA Prime」(AbemaTV)が特集すると、ケンドーコバヤシさんが持論を述べました。
「確かに」と視聴者の共感を呼んだ、ケンドーコバヤシさんのコメントとは一体?
ケンコバ、週刊誌の中吊り広告消滅で不安「取材費がアップするとなったら」
18日、週刊誌が相次いで中吊り広告の終了を公表したことを特集した「ABEMA Prime」(AbemaTV)で、ゲストコメンテーターのケンドーコバヤシさんが持論を述べました。
「週刊文春」(文藝春秋)は来月号で、「週刊新潮」(新潮社)は来月末での終了を発表した中吊り広告。
その原因として電車内の広告を見て週刊誌を購入するというモデルが崩れてきたこと、さらに広告費は取材費やオンライン戦略に回されることを同番組が報道。
すると、これまで「取材される側」であったはずのケンドーコバヤシさんは「僕は続けてほしかったです、本音を言うと」と、残念そうな表情を浮かべました。
そして、「これで取材費がアップするとなったら、さらに…さらにね、追いかけられる可能性があるわけじゃないですか」とその理由についてコメント。
「僕は独身なんで平気なんですけども、これ以上周りの人が撃ち落されていくところを見たくはないです僕は」と笑ってみせたのでした。
購入者〇%…意味をなしていなかった中吊り広告
週刊誌の中吊り広告が相次いで終了することに「続けてほしかった」と、取材されるタレントが増加することへ懸念を示したケンドーコバヤシさん。
ただ、それ以上のコメントは「文春さんや新潮さんに挑発的なこと何も言えないですから」と控えました。
また、ケンドーコバヤシさんは放送内で「というか、電車乗って上見てる人いないですよね。みんな下見て、スマホ見てる」と、中吊り広告がもはや意味を成していなかった事実を話題に。
すると、番組を観ていた視聴者からも、
《そういえば最近は電車で上を見なくなったよな…俺もスマホばかり見てるし》
《読書も、映画も、ゲームも音楽も全部スマホ1台でできるようになったし、残念ながら当然の結末》
《今日だって電車はほとんどがスマホ。そりゃなくなるわ》
などと共感の声が。
しかし本当に中吊り広告は、その効果を失ってしまったのでしょうか。
「中吊り広告はその交通機関にもよりますが、例えば都内を走る山手線であれば1週間でおよそ200万円。年で計算すれば中吊り広告だけで1億円も拠出していることになります。しかし一方で、電車内で『携帯電話を見る』と回答した人は10年前、スマホが普及する前から既に8割も存在してました」(ライター)
以前から莫大な費用をかけているのにもかかわらず、見上げる人が少なくなっていた中吊り広告。。
その上、まったくもって購買意欲に働きかけられていなかったのだとか。
「また、広告を見た人が週刊誌を購入するかというとこれもあまり芳しくはないようです。広告を眺めた時間によって購入率は変化するようですが、15分程度眺めただけの人では実際に購入した割合は3%。インターネットで検索したなど行動を起こした人もいましたが、7割の人は『何もしなかった』と回答しています。電車に乗る人と活字媒体の親和性が薄いのかわかりませんが、広告の体をなしていないのは明らかにです」(同)
一方で、「なくなるのはさみしい」、「携帯を見れない時の目のやり場がなくなった」と惜しむ声も上がっている週刊誌の中吊り広告。
広告としての意味は失ったものの、電車内の風景としては親しまれてきた側面があったようです。
(文:有馬翔平)