21日、女優の山本陽子さんが病死していたことが明らかとなりました。
81歳と高齢ながら、仕事に意欲的だった山本さん。
そこで今回は、山本さんの死因やプライベートについて調べてみました。
山本陽子死去、2月2日にはテレビ出演して元気な姿見せていた
21日、女優の山本陽子さんが病死していたことが明らかとなりました。
70歳を機に東京から静岡県熱海市に移住し、熱海市内の病院で息を引き取ったとのこと。
息を引き取ったのはは20日とも21日早朝とも言われ、情報は錯綜します。
氏名:山本陽子(やまもとようこ)
生年月日:1942年3月17日(享年81歳)
出身地:東京府東京市(現東京都)中野区
最終学歴:國學院高等学校卒業
職業:女優
身長:155cm
血液型:A型
高校卒業後、野村証券に勤務していたものの1963年に知人が日活に山本さんの応募書類を送り、受験したところ見事に合格。
第7期日活ニューフェースとして1963年(マスメディアによっては『1964年4月にデビュー』とする場合もある)に芸能界入りしました。
同時期には浅丘ルリ子さんが人気を博していた他、「日活三人娘」として吉永小百合さん、松原智恵子さん、和泉雅子さんらが台頭しており、山本さんはなかなか作品に恵まれないながらも、テレビドラマに進出してからは日本的で清楚な美貌で人気を集めました。
山本さんというと1982年に放送されたテレビドラマ『黒革の手帖』(1982年・テレビ朝日系列)で演じた「悪女」役が記憶にある読者も多いと思いますが、清楚な役もカバーするなど演技の幅が広く、女優としての地位を確立していきます。
1971年には森光子さん主演の「放浪記」悠起役で初舞台を踏み、1980年に「花摘み」で舞台初主演。
舞台女優として数々の恵まれた作品に出演し精力的な活躍をしており、その演技も高く評価されました。
最晩年も仕事に対しての意欲は貪欲で、2024年2月2日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)に俳優・高橋英樹さんと共に出演したのが生前最後の出演となりました。
山本陽子、死因は?病名は?
和服姿が似合う女優の筆頭として名高い山本さんですが、プライベートでは友人からがめつい性格から「がめちゃん」と呼ばれるほどアクティブだったそうで、運転好きのカーマニアとしても知られています。
2012年に70歳を迎え、第二の人生を楽しむため東京から静岡県熱海市に移住。
そこで生涯を閉じた山本さんですが、「病気のため」としか公表されておらず死因は調べても分かりませんでした。
2月上旬には元気な姿だったことから、外因死や癌に冒されていたなどではなく、心筋梗塞や狭心症、心筋症など誰にでも起こる「突然死」だったのかもしれません。
山本陽子さんは結婚して子供がいる?
山本さんは、趣味に車の運転と男勝りの強い女性であるほか、50代から始めた一生の趣味になることとして日本画制作にいそしんだ他、ゴルフ、麻雀、骨董品収集、乗馬などとても活動的だったようです。
特に外車好きは有名で、20代後半で憧れの赤のポルシェ911を所有し、日本人女性として初めてポルシェに乗る第一号となったほど。
女優として和服姿の多い山本さんでしたが、ジーンズ素材などが大のお気に入りで、雑誌取材などではジーンズを着用し華やかな姿を披露したことも。
かつて、結婚については「過去に結婚したいと思う人はいたけれど、縁がなかった」、「結婚できなかったのは、私の性格というよりも、私の人生がそういうものなのだと捉えています」とも語っていたこともあり、生涯独身を貫き、子ももうけていません。
テレビドラマ『白い影』(1973年・TBS系列)で共演した俳優の田宮二郎さんと長年にわたり不倫関係だったようですが、田宮さんが1978年に猟銃自殺を遂げると、会見を開きその噂を否定。
しかし、田宮さんの長男は山本さんとの不倫疑惑について幼いながらに感じることがあったのか、後年、母親が電話で相手女優(山本さんか)と口論になったことを明かしています。
その後、1980年代になると沖田浩之さんとの共演がきっかけで熱愛に発展したことが発覚。
山本さんは不惑を過ぎた42歳で沖田さんは当時21歳と、親子ほど歳の離れた二人の交際には反対の声が多く、山本さんが身を引く形で交際は終了したと言います。
山本海苔店のイメージモデルを半世紀以上も続け、お茶の間にも親しまれた大女優の突然の訃報は世間に衝撃を与え、ネットにはお悔やみの言葉が殺到。
ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。
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(文:Quick Timez編集部)