動画投稿目的で怪しい人を見かけ、犯行を行なっているかの事実を確認することなく「逮捕」する「私人逮捕(常人逮捕と言うことも)もどき」が話題となっています。
一方的に拘束する様子を動画撮影しSNSに投稿するケースが相次いでおり、その動画は拡散され投稿者は再生数に比例した収入を得ることができるため、中には肖像権を無視したものや再生数を稼ぐことだけを目的としインパクトありきに見受けられるケースも散見。
目先の利益しか考えていない私人逮捕で冤罪だった場合、罪のない人を晒している可能性は否定できません。
私人逮捕の冤罪について考えてみたいと思います。
行き過ぎた「私人逮捕」いきなり不審者扱いで動画撮影に謝罪強要も…冤罪ならどうなる!?
動画投稿目的で怪しい人を見かけ、犯行を行なっていないにもかかわらず「逮捕」する「私人逮捕(常人逮捕と言うことも)もどき」が話題となっています。
もちろん、犯人が現行犯人である場合は、検察官や司法警察職員に限らず、また逮捕状がなくても誤認逮捕の恐れがないことや身柄を確保する必要性が高く、だれでも私人逮捕が認められており可能。
しかし、昨今、問題となっているのはその逮捕する様子を動画撮影しSNSに投稿するケースが相次いでいるためです。
目的が「現行犯人の逮捕」ではなく、公開すること、再生数を伸ばすこと、それにより収入を得ることに成り代わっており、動画の内容は日に日に過激さを帯びるように。
YouTube界隈では「私人逮捕系YouTuber」なる言葉も生まれ、私人逮捕している様子を配信する人物が存在。
中には、ジャニーズ事務所在籍の男性アイドルを追っかけしている熱狂的なファンの総称である「ジャニオタ」に狙いを定め、そのチケットを転売していた女性を執拗に追いかけ回し逃げられないよう体を押さえつけている様子が投稿されたケースもありました。
転売行為は、商品供給の公平性を欠き転売ヤーが一方的に高額利益を得るなど問題視され、古物営業法違反などで有罪となる事例も。
上述した転売ヤーの女性は1万3,300円のチケットを7万円で転売していたようで、決して褒められたものではありませんが、執拗に追い回し女性を身動き取れなくするほどの様子を投稿した私人逮捕系YouTuberも決して感心できるものではありません。
他にも、街中で「通りすがりの男性が女性に絡んでいた」と、男性を一方的に「不審者扱い」して、動画撮影しながらカメラの前で謝罪させたり交番に連れて行くなど、モザイクこそかかっていますが現場が騒然としたであろうことは明白。
冒頭で記載したように、私人逮捕が認められるのは現行犯逮捕(準現行犯逮捕を含む)に限られます。
しかし、証拠などなく言いがかりや自身の思いだけで拘束した場合、逮捕の際に行き過ぎた行為があれば、逮捕者が法的責任を問われることも。
現行犯人から抵抗があり怪我を負わせてしまった場合、正義感からだとしてもやりすぎた可能性も否めません。
さらに、羽交い締めや身体を押さえつけるといった実力を行使した行為は「暴行罪」に問われる可能性があり、謝罪の強要は「強要罪」にあたることも考えられます。
私人逮捕が及ぼす影響は決して小さくない!人が人を裁くことの難しさとは
私人逮捕が正義感からの行為ではなく、再生数やそれによる収入、ひいては動画投稿で自己承認欲求が満たされるといった手段にとって変わることはお粗末そのもの。
私人逮捕による冤罪は、無実の人間のプライバシーを脅かすだけでなく私怨や私利私欲しか考えない立派な人権侵害です。
実際に犯行が明らかだった場合の逮捕では、私人逮捕の有効性が認められ暴行剤や傷害罪で刑事告訴されることはほとんどないものの、実際には捜査機関による現場の総合的な状況判断となり、実力行使は完全な無罪とはなりにくく有罪となる可能性が高いとの指摘も。
1990年代中ごろに「おやじ狩り」という路上強盗の一種が流行語として一時的に世間を賑わせたことがあります。
成人男性を襲い金品を奪った少年犯罪事件を指しますが、犯人の青年らにとっては「大人社会への反発」といった程度の気配で、自身らの行いが「強盗致傷剤」という重罪である自覚がほぼなく「軽いノリ」程度の動機だったよう。
その他にも全国的に「ホームレス襲撃事件」があり、いずれも「遊び感覚」で罪のないホームレスを襲撃し殺傷する事件が相次いでいます。
今回の「私人逮捕」については、治安を守るためといった大義ではなく、「おやじ狩り」や「ホームレス襲撃事件」のような、浅はかな考えでベクトルが自身に向いている身勝手かつ自分本意な行動にしか見えず、インパクトだけ強く読後感は消してよくないもの。
もはや動画投稿者にとってはインパクトこそが大事なのかもしれませんが、勇気ある正義ではなく、行き過ぎで逸脱した正義ですらないものに成り下がっています。
「私人逮捕」が「痴漢撲滅」、「弱者救済」になるという主張も見られますが、もしそうならば「私人逮捕」の前にできることはいくらでもあり、動画投稿は最終手段であってしかるべき。
「人が人を裁くということ」とは、社会の中で生きていれば避けては通れないながらも、その根源的な問題に目を向けることなく、一時の欲のために動画撮影、SNS投稿をしているならば、こんなにおこがましいことはないのではないでしょうか。
(文:Quick Timez編集部)