画像:時事通信フォト
3日の「7.2 新しい別の窓」(AbemaTV)で放送された「ホンネトーク」に初出演した千原ジュニアさん。
すると中学生時代、引きこもり生活を送っていたという事実を明かしました。
千原ジュニア、中学時代の引きこもり生活明かす「そこが合わなかった」
3日、千原ジュニアさんが初登場した「7.2 新しい別の窓」(AbemaTV)の「ホンネトーク」。
その放送の中で中学時代、部屋から一歩も出ない引きこもり生活を送っていたことを明かしました。
週末は祖父母の家で生活を送っていたという千原ジュニアさん。
そのため「同級生と会話が合わないというか、どういうとこ行ったというのを遠いところから見てる」と同級生が夢中になっているマンガやゲームとは無縁の生活を送っており、「唯一一緒に遊んでたのはゲートボール」、「ロケで全国大会優勝したチームとやった時、マジでスカウトされました」と同年代と交流していなかったよう。
そして中高一貫制の学校に進学するとその孤立は加速。
「そこが合わなかったんですよね」と明かすように進学組の中に入ったもののついていくことができず、次第に学校に行かなくなってしまったのだとか。
そこから引きこもり生活が始まり、当時は「14歳のころはそれこそ朝9時半くらいからサスペンション劇場の再放送、そんで11時半から12時までが地獄の谷間なんですよニュースしかやってない。そこを耐えて楽しい楽しい『笑っていいとも』が始まる」とテレビを観て一日を過ごしていました。
引きこもり生活中は家族との交流も「ほぼほぼなかったです」と振り返った千原ジュニアさん。
「ベタにおぼんにご飯とお味噌汁置かれてみたいな」とドラマのような引きこもり生活に苦笑を漏らしていました。
「吉本に来い」千原ジュニアを救った恩人とは?
中学生の時、引きこもり生活を送っていたことを明かした千原ジュニアさん。
また、兄・せいじさんについて問われると「その時せいじはいなかったんですよ」と高校を卒業して家を出ていたことに言及。
しかし、そのせいじさんこそが千原ジュニアさんの後の恩人になることに。
引きこもり生活開始から数年後、「一貫制なので高校には上がれて、でも単位制だからいよいよ退学、さあどうしようという時に電話が鳴るんです」と、せいじさんから電話をもらった千原ジュニアさん。
「電話に出たらせいじがもう吉本に入ってて、ほんなら『おまえ学校もいかず部屋におんねんなら吉本に来い』って言われて、それで行くんですよ」と引きこもり生活に終わりを告げました。
しかし、当時千原ジュニアさんには「その時はなんとかしてこの家を出なきゃいけないという思いはあった」という気持ちだけで笑いに進む考えはなく、「そこは笑いじゃなく、大工になるってなったら大工になってましたし、パティシエになるってなったらパティシエになってました」とも。
ただ「せいじが誘ってくれなかったら、いまだに部屋でヒザ抱えてるかも」と兄への感謝の言葉には番組を観ていた視聴者からも、
《せいじさんも心配してたんだろうね。いいお兄さん!》
《せいじさん、ジュニアさんの才能を見抜いてたのかもね。でも引きこもりから売れっ子になるなんて本当にすごい》
《ジュニアさん引きこもりだったんだ!でも連れ出したせいじさん優しい…》
などとコメントが寄せられていました。
(文:有馬翔平)